2012年09月17日

「おみーさん」のこと

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貞光町の町屋で暮らして、もっともなじみ深い味が「みそ」だろう。
東京の雑煮はすまし仕立てだが、貞光ではみそ仕立てだった。
そして徳島県全体を見回して、もっとも代表的なみそが「御膳みそ」で、
これを鑑み、蜂須賀家が美濃尾張から来たために
徳島にみそ文化が育ったなどという説があるがいかがなものだろう。
貞光にはまだ麹屋さんが残っている。
どなたか貞光で民俗学的なフィールドワークをやっていただきたいな。
さて、そのみその話でいちばん気になる存在が「おみーさん」だ。
この「おみーさん」という言語が気になって致し方ない今日この頃なので、
とりあえずメモ的なものを書いてみる。
文章ではなくメモなのであしからず。

さて、我が家では商家の特殊性から、昼にみそ汁を飲んでいたはずで、
これもちゃんと文字で残しておかないといけない。
実は朝は乳母車を押して行商をしていた
“きたぐちさん”というおばさんからパンを買って食べていた。
“きたぐちさん”の乳母車には油揚げや豆腐、菓子パンやうどん、
アサリなども積まれていた。
このアサリのなかからツメタガイを見つけて大いに喜び、
遠い海を思ったものだ。
要するに、商家の朝は忙しく、
商家でも勤め人のいる家庭は違うかも知れないが、
我が家では、みそ汁を作らなかった。

朝、「しゃえんじ」などで取ってきた菜などを具にみそ汁を作った。
注/「しゃえんじ」とは、町屋で家からそおれほど遠くない場所の
自家用野菜の畑のことで、たぶん漢字は舎園地。
小学校の頃は昼ご飯を食べに一度帰宅して、また学校に戻っていた。
そしてたとえば、学校から帰ってお腹がすいたときに、
この余ったみそ汁と、残りご飯で作ったのが「おみーさん」だ。
いちばん一般的な言い方が「雑炊」であり、別名「おじや」とも言う。

おもしろいのは明治に生まれ、美馬町(現美馬市)の旧家で育ち
貞光町の商家に嫁いだ祖母はみそ味の雑炊を「おみーさん」といい、
そば米で醤油仕立てにしたものを「そば米雑炊」と言った。
どのような定義で「雑炊」と「おみーさん」を使い分けていたのだろう。

『ふるさとの家庭料理 第3巻 雑炊 おこわ 変わりごはん』(農文協)
で調べると隣の香川、愛媛では「雑炊」という言葉が見受けられ、
徳島県では「おみーさん」なのだ。
「おみ」という言葉は京都府、大阪府などにある。
貞光町の方言というか言語の特徴は
「おひさま」と言わず「おひーさん」となるなど
音引きがつき、「さん」を語尾に加えることで、
「おみ」と「おみーさん」が同じ言語であることがわかる。

さて、久しぶりに「おみーさん」を作ってみた。
といってもみそ汁に残りご飯を入れて煮立たせただけ。
作ってみて大いなる間違いに気がついた、
「おみーさん」はこんなに汁気が多くなかった。
みそ味の硬いかゆのようだったのを思い出したのだ。
時間ができたら再度挑戦してみるべし。

最後に今でも町では「おみーさん」という言語が残っているのだろうか?
言語は急速に消失する。
一度ふるさとでフィールドワークしたいものである。


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2012年09月13日

「そろ」を見つけた

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ボクが小学生の時に魚取りに使っていた「そろ」を見つけた。
大分県の山の中、もと天領であった日田市豆田の雑貨屋さんを除くと
いきなりこれが目に飛び込んできたのだ。
当地ではこれを「えびしょうけ」というのだという。
なぜこれを貞光で「そろ」と言ったのだろう。
これで毎年たくさんの小さなウナギを捕まえたものだ。
こんなものでジンゾク(カワヨシノボリ)でもなく
ガナッチョ(アカザ)でもないウナギを捕まえていた。
あの貞光川はもう元にもどらないのだろうか?
posted by ぼうずコンニャク at 22:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 貞光川/小川 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月09日

栗尾商店の鳴門 炙り金時

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南大沢にあるスーパー「グランルパ」で栗尾商店の炙り金時を発見思わず買ってしまった。
栗尾商店は明治橋にあって、ボクが小学校に通う道にあった。
当時は酒を売る店であったと思うのだが、片隅に和菓子などもあったと記憶する。
遠く東京郊外の店に、ふるさとのものを見つけるのはいいものである。
posted by ぼうずコンニャク at 10:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 貞光のおいしい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月15日

小学校の東にあるお堂

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ボクは小学校に入った途端に劣等生になった。
友人の鶴野、槌谷にもなんども、「お前はホンマにいかんやつじゃった」と帰郷するたびに言われている。
その劣等感を深く深く感じたのが、小学校のいちばん北にある校舎にいたとき。
校舎の廊下の1階突き当たりに扉があり、開けると正面に見えるのが、このお堂。
いったいこれはなんなんだろう?
小学校一の劣等生は思うのだ。
それは1965年、もしくは1966年のことだった。

「本家 阿波おんな」もよろしく!
http://ameblo.jp/honkeawaonna/
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2010年05月03日

塾のあったところ

明治橋、武田人形店の角を東に入る。
ほどなく暗い路地の左手にお好み焼き屋さんがあった。
この独特の崩し字がよめなくて「おぬやき」と読んでしまっていたのが、懐かしい。
ここには一度も入っていない。
そう言えば、お好み焼き屋というのは子供にとって、ある意味縄張りのようなものだった。

その先を右手(南)に折れると左手にそろばん塾、右手に習字の塾があった。
そろばん塾の長屋のような茶褐色の長い二階建ては、今でもそのまま残っている。
ボクはどちらにも通っていた経験があるが、どちらも長続きしなかった。

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特にそろばん塾はまったくだめ。
確か5級から始めて、それ以上にはぜんぜん進めなかった。
同級生の石本さんという女の子は、そのときすでに2級だったと記憶する。
2級には暗算という、とてもボクには届かない世界があったと記憶する。
石本さん、すごいなー、とただただ素直に驚いていたのだったなー。
あっという間にそろばん塾をやめて、すぐに習字の塾に通ったと記憶する。

画像の階段を上ると習字の塾。
今は建物すらなく、そう言えば、この路地全体が明るくなった。
それでいて昼間なのに生活の臭い、人の気配がなく、なんだかさびしい空間となっている。

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ここには小学生のボクから見て、かなりのおじいさんに思えた先生がいた。
二階建ての、二階が塾。
階段を上ると、ぷーーんと墨汁の匂いがした。
手本を見て、字を書く、それに先生が赤い色でなぞって直してくれる。
先生の前には円筒形の湯飲み、たぶん煙草の臭いがしていたような。
「元気よく書きなさい」
という意味合いのことを言われた記憶があるが、それ以上はあまり覚えていない。
ほどなくここも通うのがイヤになってやめてしまった。

まことに子供の頃からダメな私であった。
posted by ぼうずコンニャク at 21:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 町の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月31日

干しいもと小豆のたいたもの

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美馬市ふれあい市場であまりに懐かしいので買ってしまった。
干しいもと小豆を甘くたいた素朴な料理。
和食の世界ではリュウキイモ(琉球いも サツマイモ)と小豆をたいたものを、いとこ煮というのだけれど。
貞光、美馬ではなんというのだろう。

子供の頃、ばあちゃんがときどき作ってくれたっけ。
意外に日常的なもので、祭などに作ったことはなかったように思う。
これがこれが、大好きで、それなのにあんまりたくさん食べられなかった。
posted by ぼうずコンニャク at 22:15| Comment(3) | TrackBack(0) | 貞光の料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月20日

長橋から東浦南を見る

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ボクは幼稚園の頃まで(1960年代始め)、画像右二階建てのベージュの建物奥にあった町民住宅、森家へ子守に預けられていた。
森家での暮らしが楽しくて楽しくて、自宅に帰るのがイヤだった。
当時、母親が病気がちだったためか、子供の頃の思い出はこの森家の川縁でのことの方が多い。
このあたりを東浦南という。

洋館があって、手前に小さな谷がある。
ここには今も変わらず青石の橋がかかっている。
その手前に草ボウボウとして荒れ果てているのが、ボクの母方の臼井家一族の土地であった。
ここには藁屋根の民家が二棟あった。
一方の家に米を持って行くと「パットライス(ばくだん菓子)」にしてくれた。
「パットライス」は好きだったが、あの大砲のようなものが突然バンと炸裂するのが怖かった。
だから、この家の前を通らないように、遠回りして歩いたことが何度もある。

奥には祖母のしゃえんじ(漢字は不明)があった。
二度イモ(ジャガイモ)、りゅうきいも(琉球薯 サツマイモ)、チシャなどを作っていた。
子供の頃よく祖母にくっついてきて手伝いをしたものだ。

東浦で思い出すことは多い。
例えば子供たちが野球チームを作っていた。
東浦南と北でチームが2つ。
確か、南が「東浦ジャイアンツ」で北が「東浦タイガース」ではなかったか。
貞光の子供たちはどちらかというと阪神ファンが多かったように思うがいかがだろう。
posted by ぼうずコンニャク at 13:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 町の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月13日

ハエ取り瓶

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師走に入っての帰郷は大変だった。
いろいろありすぎて、疲れ果てた。
とても帰宅する気になれず、徳島市内で無駄歩きをした。
(無駄歩きとは目的のない歩きという意味ではなく、目的はあるのだけど当てのない歩きという意味)

市内両国から幸町、中洲を散策。
思わぬものが目に飛び込んできた。
なんと「ハエ取り瓶」じゃないだろうか?
形がいびつで、子供の頃に持っていたものとは違っているが、全体の構造などはまったく同じだ。
いきなりだけど、その店に飛び込んで撮影させてもらった。
この店が幸町の伊藤硝子店という。

窓際に置かれていたのは、びん漬けの瓶、ハエ取り瓶、硝子の金魚鉢。
実はびん漬けの瓶は初めて見たが、「ハエ取り瓶」はやっぱり「ハエ取り瓶」であった。
「昔は職人さんがようけおって、技術があったんじゃな。もっときれいで丸かった」
この頃、珍しい懐かしいといって、訪ねて来る人もいるという。

さて、この円形のハエ取り瓶。
縁の中央部が内側に穴が開いていて、その内側が漏斗(じょうご)のようにややめくれている。
反対側(上側)にも穴が開き、これは上側にしぼんで出ている。
この下側の穴のめくれた内側に、米糠(こめぬか)、みそ、サナギ粉などを練ったものを塗りつけて川のよどみなどに置くのだ。

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エサの匂いに主にジャコ(オイカワ)、ヤマトバイ(カワムツ)などが寄ってくる。
それが内側、川の流れに口を向けている穴に入り、比較的外に出られなくなる。
上側は川の底になり、ここからも出られないわけで、瓶を漬ける場所によっては大量に魚がとれる。

ただボクの見る限り、とれる魚はあまり食べてうまそうなものではなかった。
ボクも一時期、この魚取りに夢中になったが、どうにもへたくそで、あまりたくさん魚はとれなかった。

もう遠い昔のことだけど長橋(潜水橋)のすぐ下手にハエ取り瓶が置かれていた。
少しずつ溶け出す練り餌にたくさんのジャコが寄っている。
瓶のなかは魚であふれかえっていたのだ。
仕掛けた子供たちは、貞光川西岸の長橋から北に下る坂でうれしそうに見ていた。
この西岸護岸にはイタンポ(イタドリ)、イバラ、スミレなどいろんな植物が生えていた。
その下に下水の吐き出し口があって、普段から魚の多い場所だった。

本当にうらやましかったのだが、あれはもう遙か40年も前のことになる。

伊藤硝子店の皆様、突然入って、写真まで撮らせていただきました。
ありがとうございました。

伊藤硝子店
徳島県徳島市幸町3丁目15
posted by ぼうずコンニャク at 09:55| Comment(1) | TrackBack(0) | 貞光川/小川 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月12日

「すけない」は「少ない」

貞光では往々にして「少ない」とは言わない。
主に「すけないな」という。
つるぎ町役場で若いお母さんがケータイで「今日はすけないんでよ」。
いったい何が「すけない」のかな。
posted by ぼうずコンニャク at 14:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 貞光弁辞典 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月23日

「やりこい」は柔らかい

貞光で数日暮らす。
明治橋『飯田食堂』に行く。
おばあちゃんが、おかずの並ぶ棚にあった、ゆでた鶏を持って「やりこいで?」と聞いたのだ。
「やりこい」は「柔らかい」なのだ。

おばあちゃん 「(この鶏)やりこいでー(?)」
飯田食堂のおばあちゃん 「やりこいよ」
posted by ぼうずコンニャク at 05:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 貞光弁辞典 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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