長橋から東浦南を見る

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ボクは幼稚園の頃まで(1960年代始め)、画像右二階建てのベージュの建物奥にあった町民住宅、森家へ子守に預けられていた。
森家での暮らしが楽しくて楽しくて、自宅に帰るのがイヤだった。
当時、母親が病気がちだったためか、子供の頃の思い出はこの森家の川縁でのことの方が多い。
このあたりを東浦南という。

洋館があって、手前に小さな谷がある。
ここには今も変わらず青石の橋がかかっている。
その手前に草ボウボウとして荒れ果てているのが、ボクの母方の臼井家一族の土地であった。
ここには藁屋根の民家が二棟あった。
一方の家に米を持って行くと「パットライス(ばくだん菓子)」にしてくれた。
「パットライス」は好きだったが、あの大砲のようなものが突然バンと炸裂するのが怖かった。
だから、この家の前を通らないように、遠回りして歩いたことが何度もある。

奥には祖母のしゃえんじ(漢字は不明)があった。
二度イモ(ジャガイモ)、りゅうきいも(琉球薯 サツマイモ)、チシャなどを作っていた。
子供の頃よく祖母にくっついてきて手伝いをしたものだ。

東浦で思い出すことは多い。
例えば子供たちが野球チームを作っていた。
東浦南と北でチームが2つ。
確か、南が「東浦ジャイアンツ」で北が「東浦タイガース」ではなかったか。
貞光の子供たちはどちらかというと阪神ファンが多かったように思うがいかがだろう。


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