2007年08月14日

東浦南に抜ける小道

JIROHANN0708.jpg
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右手が“じろはん”の家、左手が高来家。貞光川から南町にもどる

 南町から、貞光川におりるには、南町の北の端っこ、松浦薬局南側の細い細い路地を東に抜ける。町の家作は間口も広いが奥行きはもっと長く、裏手に貸し屋や長屋がある場合が多い。松浦薬局には貸し屋はなく、それでも波打つ黒いトタンの塀は長い。南にも家作はあり、これは岡家のもの。ここにもいくつもの貸し屋があった。
 松浦薬局建物を東に、ゆっくり下りながら通り過ぎると北に芋(とろろ芋)のツルを這わした垣根。この垣根でよくたわむれにむかごをとった。その垣根の奥が長屋で金川金物店のもの。ここに「いずみ(漢字がわからない)のあんにゃ(あんちゃん)」という人がいて川に連れて行ってもらっていた。その反対側が狭い畑。そこからまた歩くと右手に高来家、左手に“じろはん”の家があった。

 この“じろはん”はボクよりも7歳近く年上だったはず。東浦の子供にとってのガキ大将的な存在で、幾人もの子供を引き連れて歩いていた。ボクは所謂、東浦の子供ではなかったが、ときどき“じろはん”に着いて歩いていた記憶がある。
 たぶんスポーツも出来るし、男気もあるという人だったのだろうけど、ボクとは年齢が違いすぎた。“じろはん”の家を左に見ると、正面に南北に通じるやや広い路地がある。
●注/貞光では年長者などを呼ぶときに「さん」ではなく「はん」と名前の後に敬称がつく。

 ボクはこの路地で気を失ったことがある。子供の頃、夏は、わらびもち、寒い時期には、薄っぺらいお好み焼きを売るおじいさんが、町内を屋台を引いて歩いていた。このおじいさんのことは多分、2007年現在40歳代後半から60歳くらいの方はみな記憶があると思う。それほど目立つ存在であったはずである、子供には。その屋台を“じろさん”の家の門前で見つけて、1,2メートル歩いたときに気を失ったようだ。気がついたときには、小さな溝に頭をつけるように倒れていた。助け起こしてくれたのが、この屋台のおじいさんだった。

 この今ではあまりにも細い過ぎる路地を、右手に“そろ(竹製の土などを運ぶ片側が開いたザルのようなもの。これが1960年前後の魚取りの道具だった)”、左手にバケツを持って目指すは貞光川である。この道を歩くのは30年近ぶりのことだろう。なのに今でも鮮明に、はっきりと“そろ”の回りのやや太い竹の感触、ブリキのバケツの底が日差しに反射して眩しかったことが思い出される。
posted by ぼうずコンニャク at 16:33| Comment(2) | TrackBack(0) | 路地の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とても、なつかしく拝見させていただきました。
 私も、貞光を離れて34年になろうとしています。しかし、原点は「貞光」です。
 「じろはん」という、私にとっては「ちょっと恐い」名前もあり、今となっては、ほんと、なつかしいかぎりです。
 また、訪問させていただきます。

 ありがとうございました。
Posted by G3 at 2007年08月14日 22:24
G3さん、初めまして。「ジーサン」で「さん」をつけるのはおかしいですかね。
さて「じろはん」というのは「ちょっと恐い」存在だったんですね。知らなかった。
私の方こそ、ときどき訪問させて頂きます。
Posted by ぼうずコンニャク at 2007年08月15日 08:09
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