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祇園さん(八坂神社)は子供の頃(1950年代の末から1960年代の初め)遊び場のひとつ。そこから町へ下る坂である祇園小路は小学校からの帰り道でもあった。左手が織本屋の塀、正面に見えるのが阿佐商店の倉庫だと思う。手前右はその昔、本木という家で乳牛を飼って、牛乳販売をしていた。
左手に長く続く織本屋の塀は白壁に平瓦葺き。塀に沿ってやや深い溝があった。溝と言うよりも祇園さんへ続く坂道が実は盛り土されて出来たものかも知れない。
この道で思い出すのは祇園さんのお祭り(季節も、何月にあったのかも忘れている)のときのこと。境内を目差す人でごった返していた。でも今、改めてこの道を見るとなんとも狭い細長い坂道であることか。
祇園さんのお祭りには、境内だけではなく、手前にある黒住教、地蔵堂の広場、町に下って織本屋、谷医院のあたりまで屋台店が並んだ。思い出すのは黒住教の前当たりに毎年のようにパチンコ台が並んでいたこと。
この本木(間違っているかも)にはボクよりも年長の男ばかりの兄弟がいた。一番下の子でもボクよりも5歳くらいは上だったはず。よく山に連れて行ってくれて、「おべん(アケビの実)」を取ってくれた。また驚くほど木登りが上手で西山の谷(地図を見ると南谷川)の斜面の突出して高い木に上り、クマゼミを手で捕まえたのを記憶している。
この坂道ではよく遊んだ。坂道のいちばん上から三輪車、二輪の子供用自転車で一気に下りる。確か一緒に下っていた子が織本屋の溝に落ちた。誰だったろう、思い出せない。
四国とはいえ、冬には雪が積もることもある。そんなとこには「きんま(木馬 木で作った橇)で下った。でも冬でもあまり気温が下がらないので、なかなか滑るという具合にはいかなかったな。
正面に見えるのが東山(ひがっしゃま)である。そう言えば東山という名の山なのだろうか?


「本木」やのうて、「元木」さん!
おなぬか(正月の7日と夏7月の7日?)に赤いヒラヒラの紙を編みこんだ“しめ縄”様なものを祇園さんで買うて、それを頭に巻いた大勢の人たちが、あの狭い路を下って行くのを、ツレの部屋からビートルズを聴きながら眺めとったのは、今から35年も前のこと。
その頃のワシらには、ずうーっと昔、その“しめ縄”を祇園さんで買うために近隣の町村から山を越えて何千、何万人の人が貞光へ集まって来たんじゃっちゅうことを聞かされても、それがゴジャじゃとは思ワなんだほど賑やかじゃったけんど、今の若い子にそんなことを言うても、ひとっつも信用せんぐらい、今は寂しい祇園さんになってしもたの・・・
うちのニッシャマを半田ではヒガッシャマって言うんでワ。分かる?
「きんま」っちゃあ、雪が降った時に、うちんくの前の坂道で、マチから来た悪んぞ連中が「きんま」で遊ぶんで、うちの部落のモンはガイに怒っとった・・・滑って歩けん!ちゅうて。
でもその昔、祇園さんというと親戚がいっぱい集まってきたな。
それと「ツレ」というのは今の「ツレ」だろうな?
祭りは、甘酒がうまかった。。。。