2007年08月22日

どんがんは元気だろうか?

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 帰郷した日は梅雨、しかも台風4号直撃ということで小川(こがわ 貞光川)は増水していた。「水が出た」といっても昔のことを考えると微々たるもの。潜水橋の脚の5分の一ほどの水かさで、もともと土砂がたまった状態のため川としては通常の状態になったといったものだった。
 画像の橋が潜水橋。貞光では「長橋(ながばし)」と言う。洪水のときにはこの橋の道路面まで水が上がり、それこそ橋が沈みそうになったこともある。

 そうだ、その昔、小川は水量豊かなきれいな流れであった。そんな流れの淵に住んでいるのが“どんがん”だ。
 ボクはまだ“どんがん”には合った(会った?)ことがない。また写真、絵なども見たことがなく、いかなる生物なのか見当もつかない。
“どんがん”が言葉だけで登場するのはお盆と川が増水したときだ。
 川が氾濫すると、災害などを心配するとともに、町の魚取りたちは勇立つ。大きな網を肩に担いで、流れのところどころにある湾のような水のゆるむ場所、谷の流れこみをすくっていく。すると普段はなかなかすくえないアユやウグイ、ウナギなどがごっそりとれるのだ。ボクも子供ながらにこれをやってみたくて仕方がない。それにすくっているところを見ているだけでもワクワクする。
 大雨が来て、そろそろ川が泥濁りになっているだろうとゾウリを履いて飛び出していく。
 それを見ている祖母が必ず言うせりふが
「こんな大水のときに川にいったら“どんがん”にとられるぞ」
 というものだった。
 またお盆のときにも
「地獄の釜があいとる。“どんがん”もおるんでよ。尻食われるきん、川にいったらいかん」
 なんて言われたものだ。

 この言葉だけの未知の生物“どんがん”、今でも元気だろうか? 誰も小川がこれほど荒廃するとは思っていなかっただろう。いまでも淵として残っているところはあるのだろうか? 例えば「奥がん」とか「下がん」とか。
 そう言えば、この淵の名前にも「がん」がつく。この「がん」が「丸」だとしたら、水底が丸くえぐれて深くなったところ、淵となる。また「どん」が副詞的な言葉だとしたら「どんと深くなった淵(がん)」ともとれる。このあたり徳島の民俗学者に問いたい気がする。

 大人になって“どんがん”は河童かも知れないと思うようになった。河童とは中国の河伯などが我が国に伝来して土地土地で変化したもの。ある一定のイメージがある。でも“どんがん”にはそんなものがいっさいないのだ。今では“どんがん”は河童とはまったく違った生物だと思っている。
 また“どんがん”が「山で子供をさらうおとろしい妖怪」であると香川「みとよの方言」にある。とすると貞光固有の言葉ではないということだ。
「みとよの方言」
http://www.netwave.or.jp/~fujimaru/uttkari/mitoyo-db/hougen2.htm

 子供の頃、川で死ぬ子供は少なくなかった。夏休み明けには「●●君が変電所のところで心臓麻痺で死にました」とか「大川で流された」とか、「長橋の上でカミナリに打たれて死んだ」、とか聞かされたものだ。思い出すのは小学校で夏になる前に一本松の淵で水泳訓練のようなことをやる。確か三年のときに同級生が岩から飛び込んで浮いてこなかった。この子の名前を忘れてしまったが、田岡の食堂から浦山に上る坂の途中の長屋のような建物に住んでいた。小柄な子だった。この子も“どんがん”にさらわれたのだろうか。
posted by ぼうずコンニャク at 11:08| Comment(4) | TrackBack(0) | 貞光川/小川 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月06日

貞光川の「かんのう」

 1960年代、ボクがまだ川遊びを始めたばかりの頃。川を前に子供は大人からいろんなことを教わるのだ。そのひとつが「かんのう」である。「かんのう」は貞光での川遊びではもっとも安全だとされた、すなわち初心者的な場所、土居の岸、そしてその上流へ八幡橋の上手まで。また土居の岸から下流、その昔、自動車教習所のあった場所あたりまで続いていた。
 貞光をめぐる唯一の一般書である『貞光町風土記』(柳川武夫)には「護岸の基礎工事に川底へ松の丸太を打ち込み、枠組の中へ大きな石を詰め込み、洪水止めにした」、「貞光川の護岸工事(土居の岸から溜まで)は百年前にできたもの」、「古くは護岸のことをカンノウ(灌能)(勧農)といっていた」という。百年前というと本書がでたのが1983年であるから1870年〜1880年代として明治初期のものだと言えそうだ。

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土居の岸のすぐ下流

 どうして子供達が「かんのう」を教わるのかというと土居の岸では「かんのう」の中は浅く、外はぐっと深みになっているせいである。たぶんやっと川遊びのできるようになった子供は、浅い「かんのう」の上でいるように言われた記憶がある。「かんのう」の上というのはカワニナが無数に這っているだけで小さい子供にもつまらないところだった。
 もっと長じてくると、「かんのう」は魚取りのめぼしいポイントでもあった。「かんのう」の中に一本バリに鯖虫(主に「いずみ(現泉釣具店)」で買っていた。ハエのウジ、関東での“サシ”)をつけて放り込むと、大きな「どぶろく(ヌマチチブ)」がいくらでも釣れた。ほかにはウナギ、「ぎぎ(ギギ)」が釣れる。また「かんのう」の杭にはたくさんのエビがついていたのを思い出す。このエビの種類がわからない。
 1960年代から70年代、貞光の川にはたくさんの生き物と魚がいたのである。その再生産にもっとも寄与していたのが「かんのう」であると思うのである。

 この「かんのう」、今では見る影もない。貞光川は無残にもコンクリートで固められて、川底には大量の土砂が堆積している。2005年に帰郷した際に「長橋(潜水橋)」の上手で「かんのう」の痕跡を発見した。それは歳月にやせて細くなった杭の頭であり、「かんのう」の石組みは判然としない。

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岸辺にやせ細った杭が見える。これが岸近くの丸太止めの杭、ここから2メートルほど大きな石が置かれていて、流れ側にも丸太止めの杭があるはずなのだ

 しかし「かんのう」の杭がまだあるということは、大量の土砂を除けば、荒廃して、生き物が少なくなってしまった川が蘇る可能性があるということだ。なんとかしてこの土砂を取り除き、その昔の貞光川にもどせないのだろうか?
posted by ぼうずコンニャク at 10:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 貞光川/小川 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする