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貞光に初めてスーパーが出来たときのことを、はっきりと思い出すことが出来る。トン、トトトンと煙火が上がっていた。たしか飛行機が青空を横切りビラを撒いた。煙火で上がったものか、飛行機から落とされたものか、落下傘のようなものが落ちてきて、子供(ボクも)が追いかけていたようにも思える。確か「飯田のさんぱっちゃ」の路地を西に曲がったとき、どこかのお兄さんが落下傘を手に持ってすれ違った。これが何時頃のことなのか今では判然としない。小学校低学年であったような、もっと上であったような。
その貞光初のスーパーというのが、部落名(野口かも知れない。このあたりの町内の細かい地図はどこで手に入れたらええんじゃろうかの、cb72type1さんよ? このハンドルネーム誰にもわからんぞ。ヒゲにしろ! それに阿波踊りで酔っぱらうな!)はわからないのだが、小学校東側の道路、西浦線(道路というよりは一般概念では路地ほどの広さしかない。参考/『貞光風土記』柳川武夫)に面していた。
この道沿いには同級生の鶴野(鶴野モータース)がいて、確かスーパーの斜め向かいだったように思える。この西浦線にも思い出は多く、例えばこのスーパーがあった北側に大きな釣瓶井戸があった。この釣瓶というのは井戸のところに長い木がテコとして付いていて、そのテコの跳ね上げで水を汲む。またこの釣瓶井戸のあたりには怪しい「オオサンショウウオの見せ物」とか「蛇売り」が来ていた。そう言った場所だったんだろうか? この辺りは。
閑話休題。
子供心に「スーパー」という言葉にワクワクした。テレビではよく見ていたものの、そんな都会的なものが本当に「ウチんくの町にくるんじゃろうか?」と疑ってもいた。
さてボクと姉と兄の三人は祇園さんから南は折り目(折本屋酒造所)に面する西浦線を北に下る。武市屋敷を超えて、西から坂道が下ってきていて四ツ辻庚申、東からやや広い路地が合流、そのまま北に進む。少し進むと左手に大きな農家のような屋敷があり(ここを通り抜けると小学校の近道だった)、そのまま北に下る。左手に幼稚園小学校の入り口の道路、角が駄菓子、食料品、文具、玩具、プラモデルなど、なんでもありの井川があった。そこから北にまたまた下ると、左手に貞光初のスーパー「マルサン」が見えてくる。ここはゆるい坂道で、「マルサン」の店内にはコンクリートが一段下がって打っていたように思う。今で言うところのプレハブの一階建てでしかないが、当時としては大きな建物。残念ながら店内のことはどうしても思い出せない。
ボクたち兄弟の目差すものは白いマジックだった。ちなみに「マジック」は大阪市の「寺西化学工業」の商品名である。ここに問い合わせると白いマジックが登場したのが1958年であるという。とするとボクが幼稚園、小学校低学年としても発売して3、4年は経っていたはず。そんなものが珍しかったのだろうか? そして買ったのが不二屋のパラソルチョコレート。
そう言えば不二屋の歴史を見ているとパラソルチョコレートの発売が1954年、ルックチョコが1962年、ネクターが1964年とある。このどれもが記憶に残っている。ちなみに「オバケのQ太郎」のテレビ放映が1965年に始まっている。「オバQ」での不二屋のコマーシャル「パラソルチョコレートの傘の取っ手が何かに掛かっていてクルクルまわる」、というのも懐かしい。
こんなお菓子の歴史を見ていると「マルサン」開業は1960年代はじめではないか?
ここで話はそれるのだが、字町(本町)1964年の地図を見ていると「美馬生必」というのがある。本当はこれが貞光最初のスーパーかも知れない。「せいひつ」「せいひつ」と大人の会話にはよく出てきていた。
この時代、まだスーパーが商店街に与える打撃なんて問題視されていなかった。たぶん貞光の商店街が大きな打撃を受けるのは1970年の旧ボーリング場が大型スーパーになったり、役場前に「トーア(間違っているかも)」が出来てからだと思う。
この「マルサン」その後に貞光駅の西側、たぶん現住所で馬出に移転した。移転してからもなんどか行った記憶がある。でもいかんせん遠すぎた。
思い出の世界から2007年の帰ってくる。驚いたことに移転後の「マルサン」がまだ残っていたのだ。今でもなんらかの形で営業しているのだろうか?
つるぎ町商工会議会「貞光商工会」
http://www.tsci.or.jp/sadamitsu/

