おいのこはん

 かどや食品(徳島県美馬市美馬町露口)の「おいのこはん菓子(亥の子菓子)」だ。たしか小学校下の道にあった『藤本製菓』でも作って売っていたはず。  これは徳島市内とか南部では見ていない。吉野川流域の徳島県西部のものかも。  子どもの頃、食べもしないで「指を入れて指輪」なんてやっていたけど、今のは子どもの指すら入らない。  記憶の底の方に、たぶん亥の子の日(旧暦の10月、最初の亥の日)…

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小学校の東にあるお堂

ボクは小学校に入った途端に劣等生になった。 友人の鶴野、槌谷にもなんども、「お前はホンマにいかんやつじゃった」と帰郷するたびに言われている。 その劣等感を深く深く感じたのが、小学校のいちばん北にある校舎にいたとき。 校舎の廊下の1階突き当たりに扉があり、開けると正面に見えるのが、このお堂。 いったいこれはなんなんだろう? 小学校一の劣等生は思うのだ。 それは1965年、もしく…

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塾のあったところ

明治橋、武田人形店の角を東に入る。 ほどなく暗い路地の左手にお好み焼き屋さんがあった。 この独特の崩し字がよめなくて「おぬやき」と読んでしまっていたのが、懐かしい。 ここには一度も入っていない。 そう言えば、お好み焼き屋というのは子供にとって、ある意味縄張りのようなものだった。 その先を右手(南)に折れると左手にそろばん塾、右手に習字の塾があった。 そろばん塾の長屋のような茶褐色…

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長橋から東浦南を見る

ボクは幼稚園の頃まで(1960年代始め)、画像右二階建てのベージュの建物奥にあった町民住宅、森家へ子守に預けられていた。 森家での暮らしが楽しくて楽しくて、自宅に帰るのがイヤだった。 当時、母親が病気がちだったためか、子供の頃の思い出はこの森家の川縁でのことの方が多い。 このあたりを東浦南という。 洋館があって、手前に小さな谷がある。 ここには今も変わらず青石の橋がかかって…

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焼場から下る道 01

ボクが焼場(火葬場)を知ったのは小学校に上がる前。 それは町と吉野川を縁取る孟宗竹の林の間、田や畑の中にあった。 貞光川は剣山から山と山の間を縫うように北に流れ落ちて、吉野川に合流する。 河口には大きな三角州ができて、左岸を「島(しま)」といった。 貞光川の左岸は吉野川に近づくにしたがって、土地が低くなる。 低地にある「島」は有名な暴れ川である吉野川の氾濫に、たびたび見舞わ…

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藤田商店では、お好み焼きを食べた

 南中町、阿川酒造と郡さん(洋品店だった。ボクはここのお兄さんと山に三つ葉を取りに行ったことがある)の間を東に路地が通じている。  入って、阿川酒造の壁の反対側に同級生、野木の家があり、その隣が確か東出商店と言わなかっただろうか? 飲み物や酒、食料品を売っていたのだ。  そこを過ぎると、南から路地が合流してくる。そのまま東に歩いて行くと、左手に駄菓子屋のようなお好み焼き屋さんであるよ…

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まだバスは走っているのだ

 南中町の一番北にあるのが1964(昭和39)年時、町史の地図でみると『立道たねもの店』だ。  この北側にだれも橋だと思っていない、目に見えぬ明治橋がある。  ここより北が地名でも明治橋となる。  この店の前でいつも2,3人、バスを待つ人がいた。  『立道たねもの店』は今(2009年)も健在で、そして今でも店の前には小さな停留所標識が立っている。  まだバスは一宇の方に通ってい…

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牛市のあったところ

 いつの間にか民家が建ってしまっている。  ここには昔、牛市があった。  小学校の頃、たぶん低学年だったのだろう。  窓から見るともなく見ると、たくさんの牛が、ここに集まっていた。  広い土の地面にわらが散乱して、牛がテンデンバラバラに人に引かれている。  はっきりとは思い出せないのだが、この場所が黒く見えるほどに牛はいたはずで、普段は黒い地面ばかりなのに、不思議な光景を見るよ…

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ここには昔、中学校があった

 何年ぶりだろう。貞光小学校に行ってみる。  ただ通り過ぎただけだけど、変わり様にビックリする。  ボクが小学校に通ったのが、1962年から1968年だったはず。  このあたり計算するのが煩わしい。  姉は6歳上で、ボクが一年生として入学したとき中学1年生だった。  この姉が通っていたのが、正面に見える乳白色の建物の場所にあった中学校だった。  黒っぽく細長い建物で屋根は…

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田岡屋食堂と浦山に続く坂道

●クリックすると拡大  南町の南、大南町との境にあるのが田岡屋食堂だ。  このあたりは大北町、北中町、明治橋、南町と続いて、なんだか町はずれという感じがした。  でもどこか賑やかな場所の名残があった。  例えば、阿波踊りがあって、その終点でもあり、南町の連はここで集まり、ここで散会する。  そういえば、ここで阿波踊りの練習とか、子供に踊らせて「うまいへた」を評価したりしたの…

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栗尾商店から南

●クリックすると拡大  なんとなく心にわだかまる一角というのがあり、栗尾商店のあるT字路などはその最たるもの。  貞光の家並みは吉野川から南へ、剣山に向かって伸びている。  その中ほどに明治橋があり、部落名も明治橋なのである。  小学校にあがったとき、この奥からランドセルを背負い、栗尾商店の角を左に(西に)曲がる。  ボクは和子ちゃんと敬子ちゃんという同級生と通っていて、なんだ…

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貞光町初のスーパーマーケット「マルサン」

●クリックすると拡大  貞光に初めてスーパーが出来たときのことを、はっきりと思い出すことが出来る。トン、トトトンと煙火が上がっていた。たしか飛行機が青空を横切りビラを撒いた。煙火で上がったものか、飛行機から落とされたものか、落下傘のようなものが落ちてきて、子供(ボクも)が追いかけていたようにも思える。確か「飯田のさんぱっちゃ」の路地を西に曲がったとき、どこかのお兄さんが落下傘を手に持っ…

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