「やりこい」は柔らかい

貞光で数日暮らす。 明治橋『飯田食堂』に行く。 おばあちゃんが、おかずの並ぶ棚にあった、ゆでた鶏を持って「やりこいで?」と聞いたのだ。 「やりこい」は「柔らかい」なのだ。 おばあちゃん 「(この鶏)やりこいでー(?)」 飯田食堂のおばあちゃん 「やりこいよ」

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焼場から下る道 01

ボクが焼場(火葬場)を知ったのは小学校に上がる前。 それは町と吉野川を縁取る孟宗竹の林の間、田や畑の中にあった。 貞光川は剣山から山と山の間を縫うように北に流れ落ちて、吉野川に合流する。 河口には大きな三角州ができて、左岸を「島(しま)」といった。 貞光川の左岸は吉野川に近づくにしたがって、土地が低くなる。 低地にある「島」は有名な暴れ川である吉野川の氾濫に、たびたび見舞わ…

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変電所の淵が怖かった 01

貞光川河口近くに変電所がある。 1960年代、ここは深い淵の連続であって、例えば上流から川を下ってくると、子供のとってここに入る勇気があるかどうか? 関所(乗り越えがたい)のようだった。 上流からくると、貞光川下流の中学校から、自動車学校あたりは穏やかであって、葦(ヨシかアシかわからない)の生える護岸があった。 そういえば護岸には必ずネコヤナギが見られた。 根は水の中まで伸びてお…

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藤田商店では、お好み焼きを食べた

 南中町、阿川酒造と郡さん(洋品店だった。ボクはここのお兄さんと山に三つ葉を取りに行ったことがある)の間を東に路地が通じている。  入って、阿川酒造の壁の反対側に同級生、野木の家があり、その隣が確か東出商店と言わなかっただろうか? 飲み物や酒、食料品を売っていたのだ。  そこを過ぎると、南から路地が合流してくる。そのまま東に歩いて行くと、左手に駄菓子屋のようなお好み焼き屋さんであるよ…

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まだバスは走っているのだ

 南中町の一番北にあるのが1964(昭和39)年時、町史の地図でみると『立道たねもの店』だ。  この北側にだれも橋だと思っていない、目に見えぬ明治橋がある。  ここより北が地名でも明治橋となる。  この店の前でいつも2,3人、バスを待つ人がいた。  『立道たねもの店』は今(2009年)も健在で、そして今でも店の前には小さな停留所標識が立っている。  まだバスは一宇の方に通ってい…

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牛市のあったところ

 いつの間にか民家が建ってしまっている。  ここには昔、牛市があった。  小学校の頃、たぶん低学年だったのだろう。  窓から見るともなく見ると、たくさんの牛が、ここに集まっていた。  広い土の地面にわらが散乱して、牛がテンデンバラバラに人に引かれている。  はっきりとは思い出せないのだが、この場所が黒く見えるほどに牛はいたはずで、普段は黒い地面ばかりなのに、不思議な光景を見るよ…

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ここには昔、中学校があった

 何年ぶりだろう。貞光小学校に行ってみる。  ただ通り過ぎただけだけど、変わり様にビックリする。  ボクが小学校に通ったのが、1962年から1968年だったはず。  このあたり計算するのが煩わしい。  姉は6歳上で、ボクが一年生として入学したとき中学1年生だった。  この姉が通っていたのが、正面に見える乳白色の建物の場所にあった中学校だった。  黒っぽく細長い建物で屋根は…

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貞光に帰る

 5月15日、16日、17日と故郷に帰る。  ただし15日は昼過ぎに帰り着き、そのまま穴吹に向かい。  翌16日は法事。  夕方帰宅して、夜、できれば友人達に会いたい。  でもむりかな。  17日は島根県県水産アドバイザーの仕事で島根県松江に移動しなければならない。  できれば町を歩いて、できるだけ写真を撮ってきたいものだが、難しいかな。

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田岡屋食堂と浦山に続く坂道

●クリックすると拡大  南町の南、大南町との境にあるのが田岡屋食堂だ。  このあたりは大北町、北中町、明治橋、南町と続いて、なんだか町はずれという感じがした。  でもどこか賑やかな場所の名残があった。  例えば、阿波踊りがあって、その終点でもあり、南町の連はここで集まり、ここで散会する。  そういえば、ここで阿波踊りの練習とか、子供に踊らせて「うまいへた」を評価したりしたの…

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ごめんなさい

吉野川さん、三好家臣団さん、返信できなくて申し訳ありません。 なかなかブログの更新もままなりません。 でも5月には帰郷して、また貞光のあれこれを撮影してきたいと思っています。

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